浦崎芳子 プロフィール

名   前  浦崎 芳子(うらさき よしこ)




民謡鶯組で歌われている歌詞を全て作詞している。浦崎ヤス子の実の母親でもある。民謡鶯組の歌は他の民謡と違って、何か知れない心の癒しを感じる人が多い、それは曲もさることながら詩の中に流れる浦崎芳子の日常の生活に深く関わっている。浦崎芳子は本部(地元)では、神人(かみんちゅ)として知られている。詩の中に神と人間、自然と人間、親と子の絆を論ず内容が多くあり、それが人の心を打つのである。ヒット曲「芋ぬ時代」に代表されるように、親の恩と神の姿が重なり、現代人が忘れかけている自然に対する感謝と畏敬の気持ちを呼び起こしくれる。

天三神(あまみかみ)と新軸神

新軸神とは新しい神が立つことである。
天三神は新軸神である。
指導霊である。
戦後の沖縄を浄化し、立て直しさせた神。
新しい夜明けが来る。神が生まらした子供達から、神の立法が成立する。

浦崎芳子の歴史

1924年(大正13年)
伊江島にて六人姉妹の三女として出生。1938年(昭和13年)小学校を終え岡山の紡績工場へ働きに出る。実践女学校に入学、働きながら6年間学び帰郷する。

1944年(昭和19年)
結婚。二男三女の子宝に恵まれる。霊感・霊視が芽生え、数々の霊的体験をするようになる。

1961年(昭和36年)
後生の扉が開かれる。波上宮の鳥居前で、天地が引き裂かれ「後生の扉が開かれる」と神の啓示をうける。神に導かれ奥武山公園にいくと、天照大神が現れ「戦死者を救え」との声を聞いた。当時は理解できなかったが、10年後その意味を悟る。

1963年(昭和38年)
「後生の門の鍵」と仲順大主。原因不明の難病で一年間寝たきりの状態になり、ある霊能者の方より「多くの戦士した霊が憑依しており、取り除かなければ直らない」と告げられ、除霊を行う。三日間の除霊後、体の自由が利くようになった。霊能者の方より「お礼は仲順大主の前でするように」との指示を受け、北中城村にある仲順大主の墓を訪ねた。そこで仲順大主の霊が現れ「自分は後生の門番であり、門を開けないと戦死者を後生に入れることはできない。天三神が三天(みてぃん)の鍵をおろさないと門は開かないが、その三天の鍵は三天神貴女がもっている」との霊示をうける。

1971年(昭和46年)
天孫四神(てんそんゆしん)の拝みと戦死者の霊界解放・天三神のご教示のもと「天孫四神の拝み」として約一ヶ月かけて沖縄本島を一周し、戦争で亡くなった霊魂が地縛霊としてその地土にとどまることがないよう供養の御願いをして、後生との橋渡しをする。伊江島四神の後香炉伊江島城山の中腹(高上佐辺)を中心に、卯の方、午の方、頂上の登り口にある子の方、権現堂は酉の方として四神の御香炉を設置し、伊江島で戦死した軍人の御霊を後生に入れるよう、神々にお詫びの拝みをする。

1980年(昭和55年)
龍宮底親産潮砂神(りゅうぐすくしん うぶすながみ)を奉迎。本部海洋博には御通所として龍宮底親産潮砂神を奉迎。龍宮は女とあてる。天地の水はすべて海が受けとめる。火ノ神は女が守る。龍宮は潮水、塩、砂、砂利、石、岩、土、島、国全ての根である。
龍宮底親産潮砂神地土産潮砂神(ぢぃちうぶすながみ)

2000年(平成12年)
恒久平和祈念堂の建立。天三神(あまみかみ)・一三心(いっさんしん)三天一天(みてぃんいってぃん)・法規立見ノ神(ほうきたちみのかみ)2000年のサミットの年に四神拝みの総結びとして、大東亜戦争の一切の罪汚れを祓い浄め戦死者の魂を救い、これからの生きた人々の平和を祈念する願所として建立する。四神和合の感謝を上げる御香炉。また御天精霊の水神と備瀬崎の龍宮底親産潮砂の神の御香炉とも継なぎ、世界の取り次ぎ感謝が通るようにする。沖縄の火ノ神の拝みは、すべてはここに結ばれ世界に、そして神へと継ながった。

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民謡鶯組の館 〒904-2205 うるま市字栄野比51-1 TEL098-972-7279